●考えてみる●


■1月10日(木)
たかし君

 

フジTV 2008年1月10日放送 アンビリバボー10周年スペシャル 奇跡をありがとう 号泣BEST3 より

「たかし君 命のメッセージ」

愛知県碧南市に生まれた岡田貴嗣(たかし)君。奇跡の物語は彼が8歳の時、1996年6月に始まった。
持病の心筋症の合併症で脳梗塞を起こし意識不明に陥った貴嗣君は、意識が戻った後も右半身がマヒし話すこともできなくなってしまっていた。
病状が一向に回復する兆しを見せなかった中、回復を祈る新川小学校2年1組のクラスメートたちは、面会できない貴嗣君を励ますため、担任の土屋先生と一緒にテープにメッセージを吹き込んだ。
子供たちの素直な言葉に心を動かされ、母の節子さんは聞こえているかはどうかわからなかったが、貴嗣君に毎日毎日テープを聞かせた。
するとある日、貴嗣君がたどたどしいながらも「もっと飲みたい」と節子さんに話しかけたのだ。

 奇跡は起こった。貴嗣君は元気に学校に戻ることができたのだ。
右手や右足にマヒは残ったものの、クラスメートが手を差し伸べた。
笑顔が戻った貴嗣君はみんなへの思いを作文につづった。
その中には「友だちっていいよ。ぼくも友だちにやさしくしたい。そして友だちを大切にしたい」と書かれていた。
  1999年12月、5年生になった貴嗣君には新しい友だちもたくさんできた。
右半身のマヒは残っていたが、クラスメートたちの支えで楽しい学校生活を送っていた。
  だが、いつも友だちに支えられ続けている貴嗣君には悩みがあった。
いつも自分は助けてもらうばかりで何もできない、役に立っていないのではないか。
彼の悩みは担任の榊原先生に伝えられ、そしてクラスメートに伝えられた。
  貴嗣君は、人形劇をやってみんなに楽しんでもらおうと思っており、先生が生徒たちに協力を求めるとみんなが賛成の手を上げた。

 そこで、みんなで近くの福祉施設で人形劇をすることになった。
貴嗣君の役はお医者さん。
利き腕でない左腕で人形を動かすのは大きな負担だったが、毎日毎日遅くまで練習を続けた。
  本番当日、クラスメートたちと準備を進めた。誰かの役に立ちたいという彼の希望が叶えられる時がやってきた。
人形劇は大成功。
観客の皆さんは大きな拍手を送ってくれた。
さらに貴嗣君は折り紙のプレゼントも用意していた。
少しでも自分にできることがあれば人に喜んでもらいたいという思いで、貴嗣君は毎晩の稽古と共に折り紙も折っていた。
  最後にはお返しにとお花をもらった。願いが叶った時だった。
貴嗣君は「役に立てないとうつになっていたのが、何か大きなものをもらえたような感じがした」と感動した様子だった。
  だがその後、2000年に6年生になった貴嗣君は体調の悪化から車いすでの登校を余儀なくされていた。
変わらずクラスメートたちは支えてくれたが、貴嗣君は休み時間にみんなが校庭を走り回る姿がうらやましくて仕方なかった。

 そんな彼の唯一の希望は、京都への修学旅行だった。
体力的に無理だと諦めていた旅行にみんなの協力で参加でき、2泊3日を楽しく過ごした。
  またエサが不足している雪国のうさぎたちに、お小遣いで地元名産のニンジンを贈った。
そして貴嗣君はこう感じるようになった。

生き続ければみんな喜んでくれて、励まされて役に立っているんだ。
人のために何かやってあげるのではなく、生きているだけでそれをやってるのと一緒なんだ、生き続けようと思う、と力強く語ってくれた。
  だが、別れはその年の秋、突然やってきた。
2000年11月25日、貴嗣君は心不全のために12歳でこの世を去った。
クラスメートたちはそれぞれ、心の中に貴嗣君が生き続けている、そして見守ってくれていると信じている。
2001年3月には、一番の親友だった片山君に導かれ貴嗣君も卒業式に臨んだ。
そして教室に戻ると、クラスメートたちが節子さんに貴嗣君への感謝状を手渡した。
貴嗣君は最後までクラスメートたちと学校生活を共に過ごしたのだ。

 2年間担任だった榊原先生は最後、節子さんに一言謝ったあと、生徒たちにこう言葉をかけた。
「死ぬな。絶対死ぬなよ」。
教え子を亡くすという辛い経験、先生の悔しさは節子さんにももちろん伝わっていた。
貴嗣君との思い出を通して命の尊さを知ったクラスメートたち。
  12年の生涯を通し、生きることの素晴しさを伝えてくれた貴嗣君。
彼の思いはテレビを通して多くの人にも伝わり、7年が経った今もたしかに生き続けている。
貴嗣君、奇跡をありがとう。
  今も生き続ける貴嗣君の思い。昨年12月のある日、当時貴嗣君の担任だった榊原先生が新川小学校で学芸会の準備をしていた。
担当する4年生のテーマは「友だちっていいよ」。
そう、貴嗣君のことを題材にした劇だった。
今の子供たちに大切なことを伝えたいと思った榊原先生は、言葉を話せなくなった貴嗣君が、クラスメートのメッセージを聞いて回復するまでを劇にしたのだ。
  学芸会の発表には節子さんと、そして客席には貴嗣君が当時憧れていたクラスメートの守田千夏さんの姿もあった。
彼女は現在大学の児童教育学科で学び、教師を目指している。
彼女の心の中には今も貴嗣君は生きていて、同じ学校でよかったと思っていると話す。

 同じく貴嗣君が憧れていた高橋祐恵さんは今、大学で心理学を学んでいる。
色々な理由で施設に入った子供たちの心のケアや自立を支援する仕事に就きたいという。
  また、いつも貴嗣君の世話をしていた杉浦隆太さんは、実際に彼と一緒にいたのは一年と少しだったが、出会えたことで多くのことを学べた気がすると思い出す。
  一番の親友だった片山健吾さんは専門学校卒業後、目標だった介護福祉士に合格し、現在は老人保健施設で働いている。
人の役に立ちたいと常に思っていた貴嗣君との出会いがあったからこそ、自分は介護の仕事に進んだのではないかと思うと話してくれた。
  新川小学校の来客用の玄関には、貴嗣君の
「友だちっていいよ。ぼくも友だちにやさしくしたい。そして友だちを大切にしたい。」
という言葉が飾られている。

 


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