■6月 7日(土)
東大・福島さん

 

目見えず、耳も聞こえず 東大・福島さんに博士号 

朝日新聞2008年06月07日

 

目が見えず、耳も聞こえない。
ヘレン・ケラーのような障害のある福島智(さとし)さん(45)が東京大学で学術博士号をとった。
盲ろう者の「博士」は国内初。世界でもきわめてまれだ。
自らの人生の絶望と再生の歩みを分析して論文にした。
11日、学位授与式がある。

福島さんは神戸市生まれ。
3歳で右目を、9歳で左目を失明。
さらに、14歳で右耳の聴力を、18歳ですべての音を奪われた。

人とコミュニケーションできないことに、何よりもうちのめされた。
救ったのが、母令子さん(74)が思いついた「指点字」だった。

点字は六つの点の組み合わせで50音などを表す。
点字のタイプライターは、両手の人さし指、中指、薬指の6本を使って打つ。
令子さんは、同じように息子の6本の指先に打って言葉を伝えた。
この方法を生かした「指点字通訳」で、福島さんは人とのコミュニケーションを取り戻した。

周囲の支援をえて都立大学で学び、01年から東大先端科学技術研究センター助教授に。
03年から博士論文にとりくみはじめた。

19歳までの自分を研究対象にした。
幼稚園の絵日記、中高時代の手記、母や自身の日記、関係者へのインタビューなどから、その「喪失と再生」を浮かび上がらせた。

4歳で右目を摘出。
手術室の無影灯の不気味な光と切なさ。
6歳のとき「義眼を出して見せろ」といじめにあう。
全盲で右聴力も失った14歳。
全盲の教師に「目が見えんて、どういうことや」と問われ、「障害」や人生について問い、考え始めた。

そして盲ろうに。
無音漆黒の世界にたった一人、孤独と絶望のふちに沈んだ。
盲学校では教師や友人が「指点字」で話しかけてくれたが、友人がいなくなると集団の中に独りぼっち。
さらに深い孤独と絶望を味わった。

ある日、喫茶店で先輩が第三者の発言を指点字でそのまま「通訳」し、周囲の様子もラジオの実況のように伝えた。
目の前がパッと開け、この世に戻ってきた気がした。

論文で最も伝えたかったのは「コミュニケーションにいのちを救われたということ」。
盲ろうとは「コミュニケーションで大切な『感覚的情報の文脈』の喪失。
相手の表情や声の調子などの『感覚的情報』がないと、本当の意図などの『文脈』もわからない。
通訳という支援によってそれを取り戻し、再生する過程を伝えたかった」という。

「生後19カ月で盲ろうになったヘレン・ケラーは言葉をえて『人間』に成長する『誕生物語』。
だが盲ろう者の多くは、人生の途上でコミュニケーションを奪われる『喪失』の過程をたどる。
自分自身を切り刻んでありのままを分析し、障害やコミュニケーションの意味を考えたかった」

作業は膨大だった。
資料はすべて電子データにし、点字ソフトに変換して読んだ。
執筆はパソコンで打ち、点字に変換して確認した。点字と指点字を使うので、指は目であり耳。
腱鞘炎(けんしょうえん)に苦しんだ。
適応障害と診断され、断続的に休養した時期もある。

福島さんは「盲ろうは確かにしんどいけれど、自分に言い聞かせてきた『苦悩には意味がある』ということ、それは間違っていなかったと確信しています」と話している。

(生井久美子)

 


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