全米を動かした少女アレックス

アレックスのレモネードスタンド

2008年4月9日放送
ザ!世界仰天ニュースより

 

アレキサンドラ・スコット。通称“アレックス”。彼女は、みんなに愛されていた。1996年1月。アメリカ・コネケカット州ハートフォード。ジェイソン・スコットと妻・リズに二人目の赤ちゃんが生まれた。3200グラムもある元気な女の子はアレキサンドラと名づけられ大切に育てられた。しかし1歳を迎える頃、アレックスはよく熱を出し、夜泣きがひどかった。食欲も落ち、大きかった体も標準以下に。医師の診断は特に悪いところはなく大丈夫という診断だったが、1歳を過ぎ…成長が止まってしまったかのようなアレックスを心配し再び病院へ。ようやく詳しい検査が行われ検査の結果、アレックスは神経芽細胞腫だと判明した。神経芽細胞腫とは神経に育つ神経芽細胞が異常増殖して出来るガン。尿検査で早期発見できるが、アメリカではほとんど行わないため、かなり進行してから発見されるケースが多い。

アレックスの腫瘍はかなり大きくなっており、脊髄への転移も見られた。放っておけば待っているのは死。手術に賭けるしか無かった。診断の翌日小さなアレックスの腹の中いっぱいに溜まった腫瘍を取り除く大手術は、翌朝まで何と16時間に及んだ。そして摘出手術はうまくいった。しかし医師からは脊髄の一部に腫瘍が転移していましたその影響で今後足に障害が残るかもしれませんといわれる。退院したアレックスは…必死に足を動かし歩こうとした。本当なら、もう元気に走り回る頃。脊髄は切除したが、子供の本能が勝るのではないか…そんな期待通り歩行器なしでも歩けるまでに回復した。このまま、ガンにも打ち克つのでは…しかしそれから1年後ガンの再発。腹部に新たな腫瘍が見つかった。再び腫瘍摘出の手術。それは成功したものの…ここからは辛い化学療法も行わなければならなかった。

抗がん剤の投与。食欲も元気も無くなる強い副作用。そして、やわらかなアレックスの髪の毛が…なぜ幼い我が子がこんな目に…ひとつ良かったのは抗がん剤によりガンの進行が抑えられたこと…。入退院を繰り返しながら…2000年アレックスは4歳になっていた。アレックスがいれば、笑いが絶えない・・・病院の小さなアイドル。入院する中で友達もできた。同じ小児ガンと闘う女の子だった。互いに励ましあう心強い存在。やがて体調が回復したアレックスに一時退院が許された。「今、世界中でガンの研究をしているからきっといい薬ができるって…二人でがんをやっつけようね・・・」元気になったら二人で外で遊ぼう。そう約束して別れた。家に戻ったアレックスを、病気のことを知っている近所の人たちも喜んで出迎えた。しかし、元気に過ごせる日は数えるほど。家の中で静かにしている日々病院での検査の日、アレックスは友達のもとへしかし友達は、もう天国へ行ってしまった。

人の死を、4歳のアレックスは自分なりに理解したようだった。そんなある日、アレックスの目に写ったテレビ番組。それは子供たちが働いてお金を得ることを学ぶため自宅の前でレモネードを売るというもの。アメリカでは、よく見る光景だった。そしてアレックスは「ママ、私ね、レモネードスタンドをやりたいの」と言い出した。4歳の少女が考えたその理由とは、「お金を病院にあげるの。がんのお薬ができるように、そしてみんなを助けてあげるの、ガンをやっつけるんだ!約束したんだもん」それは友達との約束だった。わが子ながら、驚いた両親は2000年6月。自宅前で、準備にとりかかり家族で作った「アレックスのレモネードスタンド」と名づけられたレモネードスタンドがオープンした。

するとアレックスの病気を知る女性が、最初のお客。一杯およそ60円。話を聞いた近所の人たちが、アレックスを励ますように買いに来てくれた。久々の娘の笑顔。その数時間後スタンドには行列ができていた。ガンと闘う幼い少女のした小さなレモネードスタンドに集まった人々。集まったお金は、他の子供たちのガンの治療に。愛する人を悲しませないように役立てて欲しいというアレックスの想い。それが、伝わった。訪れる人は、途切れる気配がなかった。おつりを寄付する人。遠いところから駆けつけた人。アレックスの笑顔は輝いた。こうして、初めてのレモネードスタンド、売り上げは、2000ドルに上った。

レモネードスタンドは生きる力となったアレックスの笑顔は輝いた。苦い薬も我慢して飲むようになり、治療や検査にも積極的に取り組んだ。しかし病状は悪化、フィラデルフィアの大きな病院への転院を勧められた。2001年3月。ペンシルバニア州フィラデルフィアへと引っ越した。新しい病院には放射線治療をはじめ、小児ガンの最新の治療体制が整っていた。アレックスは5歳。いつ命の灯が消えるともわからなかったが、それでも明るい笑顔を絶やさずにいた。そして・・・アレックス「ママ今年もレモネードスタンド開きたいの」これが生きる目標。そして、6月夏に先駆け、去年より立派なレモネードスタンドが完成した。ここでも、アレックスの噂はすぐに広まり、多くの客が並んだ。長時間スタンドにいれば、体力も消耗する。どんなに疲れていても笑顔。スタンドを離れることはしなかった。そんなアレックスの姿にやがて、ウワサを聞いたアメリカ各地の人から募金も届くようになり、集ったお金は小児ガン治療の研究に活かされる「アレックスのレモネード基金」として管理されるようになった。応援のメッセージは毎日寄せられる。アレックスは、日増しに元気になっていくようだった。体調がいい日には、外出できるようになり友達も増えた。そして、またしても、両親を驚かせる事を・・・それは、ガン治療の募金を目的としたレモネードスタンドを全米に広げたいという壮大な思いだった。

その一方、定期健診で首に新たな腫瘍が見つかり一刻も早く取り除かなければ。大変危険な状態となった。治療で腫瘍が小さくなってもまたすぐに別の場所に転移する。それでもレモネードスタンドを開くという強い想いで、辛い副作用に耐えながらアレックスは入退院を繰り返していた。時に弱音も…。もうすぐ6歳のアレックスには分かり始めていた。自分のこの先の運命が・・・イヤがる娘にこれ以上、苦しい思いをさせられない・・・アレックスの好きなようにさせよう・・・そう決めた。一方アレックスは、先に天国へと旅立ってしまった親友のことがわすれられなかった。あの娘は、もっと生きていたかったはず…やっぱり、あの娘の分まで生きなきゃ・・・今年もレモネードスタンドを開く季節が近づいてきた。医師には反対されたが、2002年6月。レモネードスタンドをオープンした。

お客に触れ合うことがアレックスの支えにもなっていた。そして何よりうれしかったのは、アレックスに感銘を受けた人々が多くの地でレモネードスタンドを作り、募金してくれた事だった。その後、アレックスは緊急入院何日間も動けなくなる日が続いたが、目標があったから頑張れた・・・翌年にも、アレックスはレモネードスタンドをオープン。この年はさらに広がり、レモネードスタンドがアメリカ各地でオープンした。少女が目標にした全米50州全てでのオープンまで、もう少し・・ところが、すでに、アレックスのガンは全身に転移していた。少女の夢は叶う事なく、終わってしまうのか・・・両親は祈った・・・どうかアレックスの夢を叶えて欲しいと。

2004年6月12日。アレックスのレモネードスタンドは彼女が通う小学校の校庭に設置された。家族兄弟友達と有志で作る大きな店。そして、奇跡が起きていた。なんと、アラスカからハワイにいたるアメリカ50州すべてでアレックスのレモネードスタジオがオープンしたのだ。全米50州全ての思いが、一人の少女の夢を支える。私のようにガンで苦しむ子供を救いたい・・・小さな思いで始めたことが、これほど多くの人たちを動かすなんて…イベントは大成功に終わり、一日で30万ドル以上の寄付が集まった。少女の夢は叶った。

そんなアレックスには好きな言葉がある。「人生が酸っぱいレモンをくれるならそれで甘いレモネードを作ればいい…」アレックスは8歳にしてこの言葉通りの人生を歩んできた。イベントを終えて7月の終わり 少女は治療をやめ、家に帰りたいと願った。大好きな家族と、住み慣れた家で一緒に過ごすことに決めたのだ。そして2004年8月1日。アレックスは、わずか8年と半年の短い生涯を閉じた…レモネードスタンドの少女、アレックスの死に、アメリカ中が…涙した。アレックスのレモネードスタンドは、現在でも全米に1000箇所以上その収益はすべてチャリティーとして小児がん研究に捧げられている。そしてあの50州すべてにスタンドがオープンした6月12日は「アレックスのレモネードスタンドデー」と定められた。苦しみながらも大勢の人に愛と勇気を与え続けたアレックスその思いはレモネードと共に更に広がっていく。