痛む体で試験も剣道も…最期まで「難病患者救う」夢追った18歳

■大阪の高3・久保田さん「院内高校」に道

 

 

闘病生活を送る高校生が病院でも授業が受けられる制度創設のきっかけをつくり、自身も病魔と闘ってきた男子高校生が亡くなった。
大阪府立大手前高校3年、久保田鈴之介(すずのすけ)さん(18)。
小児がんの一種「ユーイング肉腫」が再発しながら、先月の大学入試センター試験に挑戦。最期まで進学の夢をあきらめなかった。

ユーイング肉腫は、年間100万人に4人程度がかかるとされる原発性悪性骨腫瘍の一つ。
久保田さんは中学2年で発症。
骨の切除など強い痛みを伴う治療を繰り返し、2度の再発にも耐えていた。

中学生のとき院内学級で受けた理科の実験が「一生の思い出」になったが、高校生には院内学級がなかったため、昨年1月、支援制度を大阪市に要望。
橋下徹市長が「久保田君一人を救えないなら政治なんか要りません」と応じ、大阪府が入院中の高校生に非常勤講師を派遣する事業を創設する契機になった。

同5月に再発したが、「自分よりつらい思いをしている人のために役立ちたい」と、難病の子供を支援する制度改善を求め国に要望していた。
進学を強く願い先月19、20日のセンター試験も受験したが、その後容体が急変した。

「思っていても、行動に移さないと何も変わらない」。
亡くなった久保田鈴之介さんは、難病患者の支援に取り組む理由をこう語っていた。
その死は早すぎたが、難病患者を救う「夢」や「志」は多くの人に受け継がれた。

久保田さんは昨年1月、病気をいったん克服し退院。
その後は、週1回の通院を続けながら勉学に励んでいた。

できるだけ授業に穴をあけないよう、昼休みと放課後を使って通院。
母の鈴美(すずみ)さん(49)が「無理せんでええやん」と言っても「戻るわ」と言って急いで学校に戻り、剣道部では主将も務めた。

しかし、昨年5月20日、胸に痛みを感じ再発が判明。
余命は3カ月から半年と宣告されたが、将来の希望を捨てなかった。
家族は余命宣告のことを伝えていなかったが、鈴美さんは「自分の体のことは分かっていたと思う。
それでも世界中の患者のために何かできないか考えていた」。

昨年末にはさらに体調が悪化。
食事もできない状態だったものの、センター試験には車いすで向かい特別室で受験。
1科目終了するごとに横になりながら、全教科の試験をこなした。

そのころは言葉を出すのも難しくなっていたが、見舞いにきた友人たちに「一緒に卒業しような」と励まされ、卒業式を楽しみにしていた。

亡くなる前日も、親指をあげて「頑張る」という意志を伝えていた。

通夜には千人以上が参列。
葬儀では橋下徹市長が「院内高校は制度化され、入院する高校生の希望の光になった。
鈴之介君の頑張りを思い出すたび、エネルギーをもらった」とメッセージを寄せた。
剣道部の仲間たちも「闘病中でも最後まで試合に出続けた姿はみんなの心に残り続ける」と遺影に語りかけた。

父の一男さん(51)は息子が成人になって酒を酌み交わすことを楽しみにしていた。
一男さんは「自分に与えられた使命はどんな状況でもやり尽くす気持ちがあったと思う。何に対しても逃げないという正々堂々とした生き方を貫いていた」と静かに語った。

 


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産経新聞
2月18日(月)
7時55分配信
(高瀬真由子)