「1日だけでいい、家族としゃべりたい」

小6女児のエッセーに反響続々

 


 

≪わたしの願い≫

 

わたしは しゃべれない 歩けない

口が うまく うごかない

手も 足も 自分の思ったとおり うごいてくれない

一番 つらいのは しゃべれないこと

言いたいことは 自分の中に たくさんある

でも うまく 伝えることができない

先生や お母さんに 文字盤を 指でさしながら

ちょっとずつ 文ができあがっていく感じ

自分の 言いたかったことが やっと 言葉に なっていく

神様が 1日だけ 魔法をかけて

しゃべれるようにしてくれたら…

家族と いっぱい おしゃべりしたい

学校から帰る車をおりて お母さんに

「ただいま!」って言う

「わたし、しゃべれるよ!」って言う

お母さん びっくりして 腰を ぬかすだろうな

お父さんと お兄ちゃんに 電話して

「琴音だよ! 早く、帰ってきて♪」って言う

2人とも とんで帰ってくるかな

家族みんなが そろったら みんなで ゲームをしながら おしゃべりしたい

お母さんだけは ゲームがへたやから 負けるやろうな

「まあ、まあ、元気出して」って わたしが 言う

魔法が とける前に

家族みんなに

「おやすみ」って言う

それで じゅうぶん

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 「神様が 1日だけ 魔法をかけて しゃべれるようにしてくれたら…」。1日付の本紙夕刊「夕焼けエッセー」に掲載された大阪府岸和田市の小学6年生、森琴音さん(12)の「わたしの願い」が反響を呼んでいる。

 事故の後遺症で肢体不自由となり言葉も失った琴音さん。願いがかなうなら、「ただいま」と言ってみたい、お兄ちゃんに電話をかけたい、そして魔法がとける前に家族に「おやすみ」と言いたい−「それで じゅうぶん」とつづる。12歳の魂の声は、読んだ人々の心の奥深くを、優しくゆさぶっている。(安田奈緒美)

 父親の淳さん(35)は「肢体不自由になるまではよくしゃべる子供でした」と話す。だが琴音さんが3歳のとき事故で心肺停止となった。一命を取り留めたが、低酸素脳症の重い後遺症で下半身はまひし、声は出るが言葉にならなくなってしまった。

 現在は同市立東光小学校の6年4組で30人の同級生と学校生活を送る。しかし手を動かすのにも時間がかかるため一部の授業は支援学級「しいのみ」で受けている。発言の際は机上のひらがなの文字盤を指し示す。

 今年9月、エッセーはこの教室で生まれた。一緒に学ぶ肢体不自由の障害のある児童が書いた「一人で歩きたい、一人でごはんを食べたい、一人で字を書きたい」との詩を読んで、「わたしもおなじ」と文字盤を指したのだ。

 同学級担任の西河月美教諭(46)が驚いて、「こっちゃんは何がしたいの」と尋ねると「しゃべりたい」。そこからやりとりを続け、時間をかけてエッセーを書き上げたという。西河さんは「2人で懸命に作業をしました。こっちゃんの温かい家庭が見えてきた気がしました」と話す。

 完成したエッセーを読んだ父親の淳さんは「言葉を失った琴音の思いを初めて知った」と涙が止まらなかったという。ぜひ多くの人に読んでもらえればと、「夕焼けエッセー」への投稿を決めた。

 掲載直後から本社には、はがきや手紙、メールが次々と寄せられた。「どうか神様、かなえてあげて…」(大阪府茨木市、女性)「あなたのエッセーで家族のありがたさを考えさせられました」(同府和泉市、男性)「文章を読んでこんなにすぐ涙があふれたのは生まれて初めて」(奈良県生駒市、女性)。子供が同じ障害があるという兵庫県尼崎市の母親からは「どうやって書いたの」との質問も寄せられた。母親の成美さん(36)は「温かいメッセージをたくさんいただいて感動しています」。

 10月の運動会では組体操の輪に加わるなど、活発な琴音さんだが、一番の願いが「しゃべりたい」であるのは、「おにいちゃんとけんかしたいから」と屈託のない笑顔を見せる。残り少なくなった小学校生活でも友達とのおしゃべりが楽しみ。文字盤を使うのでなかなかスピードについていけないが、できれば「そんなんちゃうで」と“ツッコミ”をしてみたいと願う。

 淳さんは「琴音ももっと言いたいことがあると改めて気付かされた。今まで以上に時間をとり、文字盤を使って会話したいと思います」と話している。

.(2014/01/11 産経新聞)

 

 


 

 

 

 


 

きっかけとなった川中椋太くんの詩

「ぼくの障害」