2014年02月27日

春山満氏 60歳(はるやま・みつる=介護用品開発販売会社ハンディネットワーク インターナショナル社長)23日、呼吸不全で死去。
兵庫県出身。24歳で難病の筋ジストロフィーを発症。介護される立場から独自の視点で商品開発を手がけ、米経済誌で紹介されたこともある。

 

 


以下は、2012年11月28日(水)の「NHK ニュースウォッチ9」の放送内容

カリスマ経営者 若者に告ぐ!

 


大越
「若者の就職は、依然、冬の時代といわれますが、私たちを含めて、少し、悲観的になりすぎてはいないか、この人の発言を聞くと、もっと前向きにならなければ、という気持ちになります。
お聞き下さい。」

「きのうのウソつきが明日の責任なんて語るな、バカタレ。
なぜ日本はこんなに弱くへなちょこになったのか。」

井上
「カリスマ経営者といわれる春山満さん、インターネット放送を使って、熱いメッセージを週1回、発信しています。
この放送を春山さんは『塾』と位置づけていて、『一燈照隅塾(いっとうしょうぐうじゅく)』と名付けています。
ひとつの明かりが、片隅を照らすという意味です。
時に過激、時に直裁、その思いを聞いてきました。」

 


春山満さん、58歳。
大阪で、介護用品などを製造・販売する会社を経営しています。
春山さんは26歳の時、筋肉が動かなくなる難病、筋ジストロフィーを発症しました。
徐々に力が失われ、首から下は動かすことができなくなりました。
体の自由が奪われる中で、自ら会社を立ち上げ、アメリカの経済雑誌で「アジアの星25人」にも選ばれました。
会社経営と共に「自分がいかに生き抜いてきたか」を伝えることが、今、励みになっているといいます。

 


井上
「『一燈照隅塾』をいま、始めようと思ったのはなぜ?」

 

春山満さん
「若い人たちが生き抜く力をつけてほしい。
生き抜く知恵をつけてほしい。
みんな何か、方向を失っている。
僕は大政治家や、大企業家や大経済人に任すには、もうこの国はだめだと、判断した。
そうではなく、私たちが国家だと。
それぞれが持っている小さくても志のある憧れを持った、ともし火が輝きだし、自分の役割を果たして、片隅かもしれないけど、しっかりと照らす。
こういう人たちが増えることで、結果、国中が照りかえっていく。
僕はこのメッセージをどうしても形にしたいと思いだした。
生きた学びを、井上さん、しないとだめよ。
マニュアル本ばかり読んだり、目の前の答えをハウツー本ばかり探して
20代30代、一番大事なのは何か。
学んでまねること。
就職活動のために勉強したり、大学受験のために勉強したり、あるパターンを突破するための学びではなく、仕事・社会を通じて学んでまねて自分流に加工していく。
僕はこういう人としての幹の太らせ方を若い人たちに、本当に伝えたい。」

 

核心:なくしたものを数えるな

 

春山満さん
「僕はたまたま難病をきっかけに宿命として、いろんなものを奪われてきた。
足が動かなくなり、手が効かなくなって、首から下が動かなくなって。
考えれば絶望しかない。
ただ僕は、どうやって生きていこうと考えた。
なくしたものを100回嘆いたって、そこに道は見つからなかった。
それよりも、あと何が残っているか考えた時、こうやってしゃべることができる、見える、聞こえる、感じられる、何よりも考えられる、こんな力をまだ残してくれた。
もうなくしたものも数えない。
その代わり、残されたものを誰よりも磨いて、誰よりも使って、とにかく生き抜くために力をつけよう。
僕はそうやって、たまたま20代30代歩いてきた。
だから、なくしたものを数えないで、残っているものを本当にありがたいと思ってこういうところに僕は道は開けてくるのだと。」

 

「なくしたものは数えるな」。
そう心に刻んできた春山さんですが、今でも忘れられない、息子・哲郎さんとの思い出があります。

 

春山満さん
「『お父さん野球教えて』と言った。
『教えてやろうか』とグローブ持って壁あて。
『壁にいっぺん投げてみ』と投げる。
ところがまっすぐ投げられない。
『違う違う、ボールの握り方そうじゃない。
足をこう上げて』。
『お父さん、これでいい』と。
だんだん僕は子どもの手も取ってやれない。
子どものボールも一緒に握ってやれない。
その僕のいら立ち、子どもにぶつけていた。
『違う、哲朗、何回言ったらわかるんや、もう一回や』。
そうすると子どもは、『これでいい』と言いながら、バーンとグローブ投げた。
泣きながら。
『もう嫌や、野球なんか嫌や』。
動かない僕の手を取って、『何でお父さんは僕の手をこうやって、グローブ持って教えてくれないの。(友人の)けんちゃんのお父さんは、野球のボール、僕に持って教えてくれた、もうお父さんと野球なんか嫌や』と言って、泣いて家の中に入った。
僕はその日、思いきりおもてで泣いた。
ただひと泣きして、心の中でこう決めた。
俺には親父らしいこと、何もできないけど、それでも俺はお前の親父やからなと。
俺の役割、絶対果たしてやる。
絶対お前ら守ってやるからなと。
僕はね井上さん、いろんな悲しさの中で、タフになってきた。
そして気持ちを切り替えてきた。」

 

春山さんが経営する介護用品を製造販売する会社は年商6億円。
使う立場だからこそ分かる、ヒット商品を生み、21年続けてきました。
その春山さんから、就職を目指す若者たちへのメッセージです。

 

春山満さん
「いま、就職難の時代といわれる“大うそ”ですよ。
それは一部の大企業の、新卒の大学生に対する求人率であって、中小企業、第2第3の大企業は人がほしくてしかたがない。
いまの大企業って、いつから大企業だったの?
大企業たくさん知っている。
みんな30〜40年前、あやしい金融屋だったり、あやしい薬屋だったり、あやしいガード下の工作工場だったり。
そういうところが気がついたら大企業と呼ばれている。
20代を大いなる練習時間として楽しむような選択。
僕はこういう風潮をもっと世の中に伝えたい。」

 


“なくしたものを考えるな”
春山満氏から若者へ…

 

大越
「なくしたものを数えるのではなく、これからの可能性を考える、与えられた課題をこなすだけでなく、自分流に人生を作り上げていく、若者だけでなく、今の時代に生きる私たち全てにとって、貴重なメッセージでしたね。」

井上
「ときには10秒ほど沈黙しながら私の質問に懸命に答えてくださいました。
春山さん、『自分が元気なのは今の自分に満足していないから』だとおっしゃっていました。
無くしたものを数えない、というのは決して簡単な事ではないと思いますが、わたしも、その姿勢をこれからの人生の糧にしたい、そんなことを感じたインタビューでした。」