「お前、ええ身分やのう」〝モラハラ妻〟の一言で夫がキレた 殴打暴行死事件の背後に「言葉の暴力」

 

 「父だけが悪いようには思えません…」。証言台で涙を流した長女の姿に、被告人席の父親も苦しげに目頭を押さえた。妻=当時(54)=の頭を素手で殴って死亡させたとして、傷害致死罪に問われた男(57)の裁判員裁判が5月、大阪地裁で開かれた。「お前、ええ身分やのう」。妻にそうなじられた瞬間に頭に血が上り、拳を振り上げた。最初にして最後の暴力が、30年以上連れ添った妻を死に至らしめた。親族や友人が「温厚」「優しい人」と口をそろえる男に何があったのか。法廷では男が長年、妻からの「言葉の暴力」に堪え忍んでいた内情が明かされた。

●車内で頭殴りつけ

 事件は、男の長女が運転する車の中で起こった。
 判決や被告人質問によると、1月3日夜、男は友人の家族と、妻が切り盛りする居酒屋で新年会を楽しんだ。お酒もそこそこ入ったところで、近くのお好み焼き店で2次会をすることになり、男と妻は長女の運転する車に乗車。2次会会場へと出発した。
 しかし車が走り出してすぐ、助手席の妻が不機嫌そうにつぶやいた。
 「2次会は行かへん。お金もないし」
 せっかくの仲間との新年会。妻が機嫌を損ねれば、楽しい雰囲気に水を差してしまう。男は「正月くらいええやんか」と妻をなだめて誘ったが、次に返ってきた一言が我慢の限界を超えた。
 「2次会に行けて、お前、ええ身分やのう」
 男は激しい怒りがこみ上げた。「誰に言うてんねん!」。妻の座る助手席の背中部分を後部座席から殴った。「ただ黙ってほしかった。座席を殴れば怖がって黙ると思った」と、この時点ではまだ冷静さが残っていた。だが妻は気にする様子もなく、ぶつぶつと何か独り言を言い続けている。

 「まだ言うてんのんか」と頭に血が上り、拳で妻の右耳の後ろを殴りつけた。30年以上一緒に暮らしてきた妻に初めて振るった暴力だった。
 驚いた長女が母親をかばおうとしたが、両手で頭を押さえながらもなおつぶやき続ける妻を目がけ、拳を4~5回突き出した。
8日後、妻の体は冷たく
 結局、2次会には男だけが出席し、妻と長女はそのまま帰宅した。
 翌日から妻は「頭が痛い」「ふらふらする」と体調不良を訴えるようになり、6日から再開する予定だった居酒屋も一向に始めようとしない。気になった男は「大丈夫か、病院行くか」と毎日尋ねたというが、妻が受診することはなかった。
 そして、新年会から8日後の朝、妻に異変が起こった。男が起床して居間に行くと、妻が正座の状態で体を前に折り曲げ、頭を床につけるという不自然な格好でいびきをかいていた。
 「変な格好で寝てんな」と思いつつ、男は朝食を買いにコンビニへ。帰宅して妻と2人分のパンと卵を焼いたところで、まだ同じ格好でいる妻が気になった。「そんな格好してしんどないんか」と体を揺すったときには、すでに妻は冷たくなっていた。
 すぐに119番して病院に搬送されたが、妻は殴られたことによる亜急性硬膜下血腫で死亡した。

●「お前」は日常茶飯事

 男と妻はかつて一緒に買い物や旅行に行く仲のいい夫婦だった。
 弁護側の冒頭陳述などによると、男は約30年前、店長を務めていた焼き鳥店に客として来た妻と出会い、結婚。翌年には夫婦で居酒屋を始めた。2人の子供にも恵まれ、幸せな生活を送っていた。
 だが、数年前から店の赤字が続き、子供の学費を払うことが困難になった。

 男は夢として始めた「料理の道」を諦め、平成23年からは店を妻に任せてトラック運転手に転身した。未明の午前3時か4時に自宅を出て、夜に帰宅するハードな生活。給料はすべて妻に渡し、妻から渡される毎日千円の小遣いで昼食を食べたり、たばこを買ったりしていた。
 夫婦で力を合わせて困難を乗り切ろうとしたが、約2年前、妻の親友が亡くなったことをきっかけに、妻は変わった。精神的に不安定になり、下戸だったはずが、焼酎をロックで飲むようになった。そのころから、男に対して「お金がない」などと頻繁に文句をいうようになった。
 妻は普段から口調がきつく、「お前」と呼ばれることも日常茶飯事で、そのことも少なからず男のプライドを傷つけた。「口を開けば文句ばっかり。ボケやカスやむちゃくちゃ言われることもあった」(男)というが、普段は文句を聞き流していた。1~2時間続くようであれば、自分からその場を離れ、けんかを回避していたという。
 自分なりの対処法も心得ていたはずの男が、なぜ事件当日に限って妻を殴ったのか。それも致命傷になるほどの強さで。
 男は公判で当時の心情について、「『お前』という言葉、2次会に行かないこと、お金のこと…いろいろ言われて、なんでこんなに一生懸命働いてんのにそんな言い方されなあかんねん!と今まで我慢していたものが全部切れてしまった」と述べた。その上で「車の中での出来事で、いつものように逃げ場がなかった。傷つけるつもりはなかった」とうなだれた。
 妻に対する男の我慢は、周囲の目にも明らかだったようだ。証人出廷した長女は「父だけが悪いようには思えない。重い処罰は望みません」と涙を流し、妻の弟も「義兄は温厚で優しい人。これは事件ではなく事故。刑を軽くしてほしい」と訴えた。

●モラハラ妻に悩む夫たち

 配偶者に暴力を振るう「ドメスティックバイオレンス(DV)」や、相手を侮辱するなどして心理的に追い詰める「モラルハラスメント」。被害者は必ずしも女性だけではない。
 内閣府の調査によると、25年度に全国の配偶者暴力相談支援センターに寄せられた相談は9万9961件。大半は女性からだが、男性からも1577件と全体の1・5%を占めた。問題を抱える夫婦をサポートするNPO法人「結婚生活カウンセリング協会」(横浜市)の結婚生活コンサルタント、大塚ガクさん(43)は「実は男性の被害者は多い。力の弱い女性と違い、男性は被害者と捉えられにくいので表に出ないだけだ」と指摘する。
 男性の被害者で特に多いのがモラハラだ。大塚さんは「女性の方が男性よりも感情的にものを言う傾向にあり、言葉がきつい」とし、女性から「給料が低い」「頼んだものを忘れた」などと事実をとらえて攻撃されるパターンが多いという。「被害男性は自分が悪いと思い込んで我慢してしまう」傾向にあるため、状況を変えるには「自分が被害者だと気付き、周囲に相談したり、ときには離婚を考えたりすることが大切だ」と強調する。
 妻からの攻撃に耐えるしかなかった男は、我慢の糸が切れた瞬間、被害者から加害者になった。大阪地裁は「被告の心情は同情できる一方、暴行に及ぶのは短絡的だ」として、懲役3年(求刑懲役6年)の実刑判決を言い渡した。
 法廷で妻への思いを問われた男の言葉には、深い後悔がにじんでいた。「若いときに知り合って好き同士一緒になって、いいパートナーやった。すまない気持ちでいっぱいです」

 

SANKEI DIGITAL 2015.6.2 11:00更新