アメリカのオバマ大統領は5月27日、広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花した。
オバマ氏は現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を訪問。
原爆投下国として、広島と長崎を含む第二次世界大戦のすべての犠牲者らに哀悼の意を示すスピーチをした。
その中で「核なき世界」を主導する責任についても言及した。
献花には安倍晋三首相が同席した。

オバマ大統領のスピーチは以下のとおり。

 

■オバマ大統領「広島と長崎が教えてくれたのです」


 

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。
閃光と火の玉がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?
私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。
私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、10人ほどのアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。
彼らの魂が、私たちに語りかけています。
彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、本質を見るように求めています。
広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。
遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。
フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たちの同類に対して使ったのです。
どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。
戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。
多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。
多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。
そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。

第二次世界大戦は、広島と長崎で、とても残虐な終わりを迎えました。
これまで人類の文明は、素晴らしい芸術を生み出してきました。
そして偉大な思想や、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。
しかし、同じところから戦争も出てきました。
征服をしたいという思いも出てきました。
古いパターンが、新しい能力によってさらに増幅されました。
そこには制約が働きませんでした。
ほんの数年の間に6000万もの人たちが亡くなりました。
男性、女性、子供達。私たちと全く変わらない人たちです。
撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、拘束され、またはガス室に送られて亡くなりました。

世界中には、この戦争の歴史を刻む場所が沢山あります。
慰霊碑が、英雄的な行いなども含めて、色々なことを示しています。
空っぽな収容所などが、そういうことを物語っています。
しかし、空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。
私たちの考え、想像、言語、道具の製作、私たちが自然とは違うということを示す能力、そういったものが大きな破壊の力を生み出しました。

いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。
どれだけ容易く私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。
私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いています。
しかし、それが決して人を殺す理由になってはいけません。

国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。
様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。
科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。
空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。
そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。

現代の社会は、私たちに真理を教えています。
広島は私たちにこの真理を伝えています。
技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということを。
科学的な革命によって色々な文明が生まれ、そして消えてゆきました。
だからこそいま、私たちはここに立っているのです。

私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。
子供たちの苦しみを思い起こします。
子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。
私たちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。
これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。
言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。
しかし私たちには共有の責任があります。
私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。
そして、尋ねるのです。
我々は、一体これから何を変えなければならないのか。
そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。
いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。
しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。
その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。
私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。
そして、私たちに変化を促すものとなります。

あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。
アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。
欧州では連合(EU)ができました。
国々は、商業や民主主義で結ばれています。
国、または国民が解放を求めています。
そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。
制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。

それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。
私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。
私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。
しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。
しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。
このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。
それだけでは十分ではありません。
世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。
私たちの心を変えなくてはなりません。
戦争に対する考え方を変える必要があります。
紛争を外交的手段で解決することが必要です。
紛争を終わらせる努力をしなければなりません。
平和的な協力をしていくことが重要です。
暴力的な競争をするべきではありません。
私たちは、築きあげていかなければなりません。
破壊をしてはならないのです。
なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。
同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。
つながりこそが人類を独自のものにしています。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。
選択をすることができます。
子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。
人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。
物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。
原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。
殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。
アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。
すべての人類は平等である。
そして、生まれもった権利がある。
生命の自由、幸福を希求する権利です。
しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。
しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。
努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。
すべての人がやっていくべきことです。
すべての人命は、かけがえのないものです。
私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。
これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。
だからこそ私たちは、広島に来たのです。
そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。
たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、
そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。
亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。
多くの人々がそういったことが理解できると思います。
もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。
科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。
国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。
しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。
なんと貴重なことでしょうか。
この生活は、守る価値があります。
それを全ての子供達に広げていく必要があります。
この未来こそ、私たちが選択する未来です。
未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。