五箇条の御誓文

 

 

 

① 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ

(翻訳) 広く会議を興し、万機公論に決すべし。

意味: 『日本中から優秀な人を集めて会議をして決めよう』

 

 

 

② 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ

(翻訳) 上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。

意味: 『身分関係なく日本を治めていこう』

 

 

 

③ 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス

(翻訳 )官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。

意味: 『政府や武士、さらに一般の国民もそれぞれの責任を果たして目標を達成していきましょう』

 

 

 

④ 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ

(翻訳) 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。

意味: 『これまでの悪い風習を捨てて道理にあった方法で何事もやっていこう』

 

 

 

⑤ 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ

(翻訳) 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

意味: 『知識を世界に広めていき、天皇中心に日本やこれまでの日本の伝統を大切にして日本を発展させていきましょう』

 

 

 

 

 


 

慶応3年(1867)10月、将軍徳川慶喜は大政を奉還し、12月9日には王政復古の大号令が発せられ、幕藩体制に代わる新政府が成立しました。

しかしながら開国まもない当時の日本の世情は依然混沌としており、国際的にも多くの問題を抱えておりました。

慶応4年(明治元年)3月14日、明治天皇は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになりました。

絵には副総裁三條實美が五箇條の御誓文を御神前に奉読する光景が描かれています。

明治天皇は白の御引直衣をお召しになり玉座に南面し、御神前に御身体をお向けになっておられます。

この日、天皇みずからが国難の先頭に立って伝統あるこの国を護り、世界各国との親交を深めつつ国を隆昌に導こうとするにあたり、国民への協力を求める告諭(宸翰)が、御誓文とあわせて布告されました。