北川悦吏子さんのコラム

「向きあう」

 

昨年末、日本経済新聞「向き合う」のコーナーにて北川悦吏子さんのコラムが掲載されました。

 

 

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「向き合う」(第一回)

~病気は気の合わないペット~

 

 少女時代からの慢性腎炎、大人になってからの炎症性腸疾患、その悪化後の大腸全摘、そのオペ時の縫合不全、その後遺症としての狭窄(きょうさく)やら謎の瘻(ろう)孔やら。そこに潰瘍がまたできる。そして、聴神経腫瘍で左耳の失聴……。

とにかく、不幸のつるべ打ちなんである。いろんなことが身体に起きる人生なわけだ。

 夫は、神様は、ひとつひとつ、あなたから大事なものを奪っていくね、と言った。

 ま、さ、に!

 でも、なんとか生きている。そして、今もまた入院している慶応病院でこれを書いている。

 今回の入院は、腸のオペ後の狭窄部分が影響したと思われる腸閉塞だった。

 NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」執筆中も、二度ほどこうして慶応病院に入院し、やはり、こうしてデスクにパソコンを置いて点滴の刺さった腕で、原稿を書いていた。 

 さて。私、不幸か、と言われれば、充分に不幸だと思う。どの病も10万分の1の確率で起きるようなもので、それが何個も重なるというのは、天文学的な確率ではないのか、と思う。

「向き合う」というのが、このコラムのタイトルであるが、医師も手をこまねいているようなこれらと、正面から向き合うつもりは、私は、毛頭ない。申し訳ないけど、ないのである。

 向き合って、戦って勝てる相手じゃない。向き合って戦って、勝てる相手なら、発症後18年たった私が、一泊5万もする慶応病院の個室で、今これを書いているわけがないじゃないか。さっき、会計の概算を見て、心が沈んだところだ。すごい額。

 私は、会計の概算を横目でしか見ない。すぐ忘れるつもりだ。そのかわり働くつもりだ。

 病気に関しても、私は向き合うつもりはない。見て見ぬふり。要点だけ押さえ、あとは忘れる。その所存でつきあっている。

 たとえば、そう。まるで気の合わない、獰猛(どうもう)なペットを飼ってしまったのに似ている。こいつはずっと私のそばにいる。気も合わないし大嫌いなのに。

 

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「向き合う」(第二回)

~「私のために生きてくれ」~

 

 難病もののストーリーを見ていると、たいていが病と向き合って乗り越えて、今は治ってハッピー。もしくは、病と向き合ってやがて死がやってきて、でも彼女(彼)は、一生懸命生きた、メデタシメデタシ、のどちらかである。

 私も病気をカミングアウトしてから、何本もその手の取材を受けてきたが「それを乗り越えて素晴らしい」という文脈で語られることが多い。

 だが、乗り越えられてなんていないのである。だって、治らないのだから。治らない限り、乗り越える、ということは、病気を達観する、ということで、それは出家でもして人並み外れた強靱(きょうじん)な精神力を持たないと、無理なのではないか、と思う。

途方もなく痛ければ人は泣くし呻(うめ)くし、わけのわからない恐ろしいとしか思えない検査をされれば震えるし、自分の先がわからなければ、安定剤が欲しい。

乗り越える、ということがこれらを全て達観して、悟りを開いたように微動にもしない、ということになるなら、乗り越えるには、私は滝に打たれて修行するしかない。

 しかし、病気だけでこれだけ苦しいのに、なおかつ滝に打たれて修行なんてさらさらする気はないので、私はいつまでたっても悟りを開けない。病を乗り越えられない。達観できない。

絶望的な事象が知らされるたびに、泣いてわめいて縋(すが)るのだ。昔の中島みゆきさんの歌に登場するふられたヒロインのように。見苦しいったりゃありゃしない。

そこで登場するのが、親友たち。何人かの。

ひとりに集中すると、その人もパンクするだろう。何人か見繕っておいて、順番に愚痴をぶちまける。

ある時、本当にひどくなった。にっちもさっちも行かない。生きる気力がなくなった。「もう死にたい」と一番の親友に打ち明けた。「生きて。北川。私のために生きてくれ。北川いなくなったら、私、生きてるの辛い」彼女は言った。

そうか、彼女のために、生きてみるか、と私は思った。ずっと、自分は自分のために生きている、と信じていた。でも、最後の最後には、人のためにしか生きられないのかもしれない、と思った。

 

 

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「向き合う」(第三回)

~どうしたって生かされる~

 

あまりにも、難病が治らないので、ひどくなると必ず、ググッて人々の様子を知る。自分と同じように同じ病気に苦しむ人のブログを読み漁ったりする。患者の会、などには一切、参加していないのだが。人は、自分だけじゃない、自分より大変な人がいる、と思うと救われるものなのだ。

この感覚、私だけじゃないんだと膝を打ったことがある。

たとえば、一瞬で命が失われた、なんてニュースがあるとする。有名人なこともある。あの人って、いきなりある夜倒れて、次の日の朝に帰らぬ人になったんだって。と、みな、気の毒そうに、残念そうに語る。

その時、私は、内心、「いいなあ」と思っているんである。

まあ、あまりにもその人が若い場合は、やり残したことがあるのにかわいそうだ、と思うわけであるが、そうでない場合。ある程度のお歳(とし)で、ある程度、もう仕事も実績もある人な場合、最初に浮かぶ感想は「いいなあ」である。

だれかがガンで死んだ、というのを聞いてもすぐに「その人の闘病期間は?」と思うのである。短ければ短いほど、ああ、いいなあ・・・と思うんである。不謹慎なことはわかっている。それが世間の常識とは違うこともわかっている。

しかし……。同じ難病の人のブログや掲示板をみると、みな一斉に思っているのだ。ああ、あの事故で死んだのがなぜ、自分ではないのだ!と。いいなあ、一瞬で楽に死ねて。自分たちは、死なせてもらえない、と。

本当に本当に、辛(つら)い闘病を重ねて来た私たちの本音である。どうしたって生かされる。苦しくたって、辛くたって、痛くたって、先が見えなくたって、もう死んでしまいたくても、生かされるのが、医療の基本である。それが間違ってるとは思わない。そして、光が差す瞬間もあるだろう。楽になる瞬間、あすを生きたい、と思えるほど具合のよくなる瞬間もあるだろう。でも、私は知っている

ただただ、苦しんでだけ生きる人たちがいることを。高齢化が進む日本。そんな人たちは山ほどいると思う。

そこにはなんの結論もない。救いもない。年中、朝から晩まで痛みで叫んでいる人。病院に入院していると、そんな現実の中にいる患者さんにも遭遇することになるわけである。

 

 

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「向き合う」(第4回)

~そして、光を見つける~

 

4回にわたって、ヤマイ(病)のことを書いてきましたが、私がしている方法は、徹底的にそれと向き合わない、ということなのである。病院に行かないわけではない。病院には行くし、やれることはやるし、調べることは調べる。代替医療もたくさん手を出しました。

私なりに、要点は押さえる。そうしたら、あとは運を天に任せる。医者の腕に任せる。多くの時間と気持ちを、身体のことに取られない。

これである。だって、しかたがない。思うようにならないのが、自分の身体、だ。身体と向き合って戦って、人生終わったらたまらない。

うまくいえないけれど、闘病を人生のメインテーマにしない。かたわらに、置く、というか。

そう、気の合わないペットのように。

そのかわり、思うようになることは頑張ろう、と思う。頑張ればそれなりに、報われること。仕事、とか。ある程度、思う様になる。そう、病ほど徹底してコントロールできないものはない。だからこその難病だ。

だから、私は他に光を見つける。NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」を書いた時に、ヒロインは難病ではないけれど、片方の耳が聞こえないという事態に陥る。これを、幼なじみの律は救おうと思い、なんとか片耳失聴の手助けになるようなロボットを開発しようとするのだが、彼女の求めたものは、実はそれではなかった。マンガ、だ。

片耳失聴を忘れるほど、夢中になれるもの。

そんなことを言っても、病やハンディを追いながら、仕事にしろ何にしろ、夢中になれるものを見つけるのは、健康な人よりずっと厳しい、という意見もあるかもしれない。

でも、ハンディはあってもやりようはあるよ、と思う。人間には、知恵があるから。

知恵とアイデアと工夫で、なんとか元気な時間を捻出し、そして、人を巻き込んでもいいじゃないか?
方法を見つけて行こう。生き生きと生きる、方法を。

そして、あすを信じようと思う。きっと、医療は発展するし、新薬も新しい方法も見つかるかもしれない。

きっと、あすは明るい。そして、周りの人を巻き込もう。

 

 

 

 

 

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