「人間って遊園地の1日券を持って生まれてくるようなものだと思うんです」
カジノで106億円失った大王製紙元会長が“絶望しなかった”ワケ
8/11(木) 11:12配信
2011年に106億8000万円という大金をカジノで溶かし、会社法違反(特別背任)の容疑で東京地検特捜部に逮捕された大王製紙元会長の井川意高氏。
4年の刑期を終えたのち、彼が向かったのはなんと韓国のカジノだった。
3000万円を元手に一度は9億円まで増やしたというが最終的には0円に。
その後、今度はシンガポールのカジノを訪れ、1か月ぶっ通しでバカラをし続けた。
そこで4000万円負け、ついに「飽き」がきたという。
現在は、アルコール度数96%のスピリタスを「毎晩飲むのが日課」だという井川氏。
ギャンブルから離れた井川氏はどこに向かうのか――。
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大金を運用して増やしても欲しいものがない
井川氏は「小さい頃から凝り性な性格だった」と自身のこれまでを振り返る。
「子どもの頃は切手を集めたりとか。
刑務所で車を買い漁っていたときもそうだったし、一時期はワインにはまって買い集めたりもしたんです。
でもある程度ハマると先が見えちゃうんですよね。
『自分の資金力だとこれくらいが限界だよな』って。
結局どんなに集めたところで世界の石油王には勝てないわけです。
そうすると、一気に冷めちゃうんですよ」
――そういう意味だとギャンブルは終わりがないですよね。
井川 まぁさすがにバカラはやり尽くしたなとは思っているんで。
いまはもうやらなくていいかなと思っています。
結局100億円以上のお金をギャンブルで失いましたけど、例えばその100億円で不動産を買って、うまいこと運用して150億円にしたところで、ほしいものがないんですよね。
ハワイにコンドミニアムを買いたいとか、そういうことは思わない。
仕事は楽しいというよりも義務感が強かった
――ギャンブルで失ったのはお金だけではなく、大王製紙の元会長という肩書や社会的地位もあったと思います。それを失った後悔はありますか?
井川 逮捕されたことで迷惑をかけてしまった人たちには申し訳ないことをしてしまったなと思っています。
ただ、大王製紙の会長という座を失ったことに対する未練は一切ないですね。
会社の経営者として、「これからどうすんだ」って頭を悩ませ続けるくらいなら、今みたいに毎晩酒を飲んでるほうがよっぽど気楽でいいですよ。
時間が一番有限じゃないですか。自分のためだけに時間を使えるのが一番の幸せですよ。
――経営者としての仕事自体はお好きだったんですか?
井川 正直、経営者時代は砂を噛むような思いでしたからね。
ただ、創業者の家族というだけで役員になった、社長になったとは言われたくはなかったので、誰よりも仕事はしました。
マーケティングの会議に出れば、誰よりもアイディアを出せるように、必死で「ああでもない、こうでもない」と考えていました。
だから楽しいというよりも……義務感が強かったですね。
「やって当たり前だろう」というか。周囲もそういう目で見てきますしね。
刑務所に服役したのはいい経験だった
――創業家出身ならではのご苦労ですね。
井川 父親がめちゃくちゃ理不尽な存在でしたから。
子供の頃から「あれやれ、これやれ」と言われ続けていました。
私が大王製紙にいたころ、父親がいる顧問室に呼ばれたら、灰皿や湯呑が飛んでこないか、いつもひやひやしていました。
そんな親父だけに、2011年に私が逮捕されるとなったときは、1時間以上も罵詈雑言を浴びせられました。
でも、父は2019年に亡くなったんですが、そのときに怒られたっきりで「意高のせいで会社がこんなことになった」とか、私の悪口や愚痴は一言も言わなかったと聞きました。
――大企業の会長から、刑務所に収監されたわけですから、まさにジェットコースターのような経験ですよね。
井川 刑務所に服役したのは、僕自身はいい経験をしたなと思っています。
人間って遊園地の1日券を持って生まれてくるようなものだと思うんですよね。
「並ぶのがめんどくさいから、ジェットコースターにも乗らずに過ごす」よりは、「並ぶのはしんどいけど、その先におもしろい経験があるならそれを経験してみたい」と思うじゃないですか。
今までの人脈や経験を活かして、できる範囲で人助けができたら
ラテン語に「メメント・モリ」って言葉がありますよね。
「死を忘れるな」という意味なんですけど、続きがあって「カルペ・ディエム」=「今を楽しめ」と続くんです。
要は、いつ死ぬかわからないんだから、今を楽しめってことなんです。
僕はそうやって生きていきたいなと思ってます。
――最後に今後の目標を教えてください。
井川 経営者をやっていたのでいまはその時の経験を活かして、知り合いの会社のコンサルティングをしています。
そうやっていままで自分が築いてきたもので、周りの人の役に立てることがあるならそれをやっていきたいなという感じですね。
経営者をやっているときは「自分のことは自分でやれよ」と思ってたんですが、刑務所に入ったらいろんな人が心配してきてくれて。
その時に「ああ、人に頼っていいんだな」と思ったんですよね。
それから、人に何か頼まれても「いいですよ」と言えるようになったんです。
人に助けられるのも、助けるのもいいものだなって。だから自分も今までの人脈だったり経験を活かして、できる範囲で人助けができたらうれしいなと思っています。
インタビュー撮影=釜谷洋史/文藝春秋